紙をめぐる話|紙について話そう。 No.36
岡本 健
グラフィックデザイナー
岡崎智弘
 グラフィックデザイナー

私たちはどんなときにも、
何かに触れながら生きています。
触れるという何気ない行為の先に
こんなに豊かな喜びが潜んでいたのかと、
気づかせてくれるような対談です。

2024年1月12日

初出:PAPER'S No.67 2024 夏号

岡本 健・岡崎智弘

岡本 岡崎さんが「おもしろい」と感じる視点って、きっと子どもの頃から変わっていませんよね。小さな子がじーっとアリを見つめるような視線の延長で、今でも仕事をされている感じがしていて。その感覚って一般的には大人になるにつれて徐々に薄まっていくものですけど、岡崎さんは薄まるどころか濃くなっている印象があります。そんな岡崎さんがつくるものなら子どもたちもじーっと見続けてくれるんじゃないかと思い、僕がデザインを担当させていただいた日本文教出版の小学校教科書『図画工作』の映像制作に協力をお願いしました。紙という材料の使い方を伝えるページに二次元コードが載っていて、そこから見ることができる映像です。
岡崎 「かみ いろいろ」ですね。僕は元々ものの物性に興味があって、自分で何かをつくるよりも世界にあるものを楽しむことをモチベーションにしているので、話を伺ってすぐに「楽しそう!」と思いました。
岡本 いろんなアイデアが出ましたが、相談をくり返すうちにどんどんシンプルになっていって、最後は紙の物性のおもしろさを素直に伝える内容になりましたね。
岡崎 そうでしたね。僕にとって印象的だったのは、「映像にはきれいな手よりも慣れている手を出してください」という岡本さんからのリクエスト。たしかに物性を自然に引き出すためには、ものの感触をひとつひとつ手で確かめながら進めていく必要があるんです。そこに意図を入れすぎると不自然になる。でもデザインとしての設計も必要で。その試行錯誤には慣れている手であることが大事なんですね。僕はその塩梅を仕事にしていると言えるくらいで。

 

触覚が襲いかかってくる。

岡本 そういう物性の観察はいつ頃からしてきたんですか?
岡崎 僕のモチベーションの根源は「自然を観る」ことにあります。小さな頃から虫を見続けてきましたが、自分とは別の原理でできているものを見ているとちっとも飽きなかった。自分とぜんぜん違うことがおもしろくて。観察する対象は不思議とちっちゃな生きものが多かったですが、小さいと物に近い感覚になるのかもしれません。
岡本 ライフワークにされているコマ撮りのマッチ棒も小さいですよね。
岡崎 あのくらいの大きさがしっくりくるんです。きっと岡本さんも、普段の仕事で文字のように小さなものをたくさん観察されていますよね。
岡本 デザインには俯瞰的な視点も欠かせないので、大小両方を見ることを大事にしていますね。でも虫を捕まえるときにも周辺環境を同時に観察しているはずですから、共通点がすごくあると思います。一方で小さな頃の話でいうと、僕は家の中でひたすら何かをつくっていました。絵を描くとか、プラモデルとか工作とか。その頃の記憶は触覚だけが異様に強く残っているんです。紙であれば、ざらざら、ふわふわ、びりびり……ときどき触覚だけが襲いかかってくる夢を見ることもあります(笑)。
岡崎 そこまでの夢を見たことはありませんが(笑)、僕も触感には過敏な方だと思います。映像って直接ものに触ることはできなくても、触感は感じられるんですよね。それは動きの時間経過によるもの。たとえば厚い紙と薄い紙では折ったときに戻ろうとする力がぜんぜん違って、まったく同じ形にも戻らない。僕はその差分を記録しているんです。この世界に止まっているものは何もなくて、自分はその一端に関わっている。いつもそんな意識で仕事をしています。だから物には一切触れず、自重だけの動きをそのまま撮ることもある。一方で、手を加えた方が素直に動く場合もあるので、あえて触れたりもする。どこを触ると最も素直な動きになるのか、それを探り続けています。
岡本 僕には小学校二年生と五年生の子どもがいるのですが、最近は学校で紙に触れる機会がどんどん減っているように感じます。問題の答えをタブレットに書いて先生のPC に送信するようなコミュニケーションが増えていて、紙の物性や触覚がない世界になっている。現代は、人類史上最も視覚と聴覚に頼っている時代になっているそうです。
岡崎 それについては僕は割と楽観派なんです。タブレットにもつるつる感、かちかち感のような触り心地がありますから、その世代なりの触覚が研ぎ澄まされる気がしていて。もちろんタブレットは人間がつくったもので、紙はもう少し自然に近いものという違いはありますが、それを乗り越えて高まる何かがあるんじゃないかと。どんな時代になっても、人間が触覚なしで生きていくことはないはずですから。

生きることは、触れること。

岡本 デザインをするときに手触り感を大事にすることがよくあるのですが、それは実際に物に触れたときの感覚だけではなくて、もっと広く捉えた全体としての手触り感なんですね。たとえば書籍の文字組みは、文字の大きさや行と行の距離感などによって読み心地が微妙に変わりますが、その加減次第で読み心地に手触り感が生まれたりします。
岡崎 たしかに物体に限定すると触覚だけになるけど、体験としての触感というものがありますね。
岡本 触覚って、自分の存在を確認するためのツールとしても優れているそうです。よく物語のワンシーンで「これって夢?」と言いながら頬っぺたをつねりますよね。あれは目や耳からの情報よりも、触覚の情報を信じているということのあらわれなんだそうです。
岡崎 正確なことは分かりませんが、きっと赤ちゃんが最初に世界を知覚するのも触覚なんじゃないかと思います。与えられたものではなくて、自分が動いた結果として得られる能動的な感覚。指先に脳のような判断力があるという説もあるようで、たしかに手を動かすと頭も働きますよね。
岡本 鉛筆の書き心地がざらざらした紙とつるつるした紙で違うように、触覚が道具にまで延長するような体験も多々ありますよね。岡崎さんのコマ撮りも、時間を捉える感覚がカメラに延長しているような感じなんですか?
岡崎 そこは直接つながってはいないんです。自分の手と物の関係性よりも、映像をつなげたときの絵の差分や時間の連なりによって、しゅっと動いたり、にゅいんと動いたりするのが決まるので。おもしろいのは、目の前で起きている現象と映像で見たときの質感がイコールではないことです。そもそも思い通りにしようとはしていませんが、「あ、こうなっちゃうんだ」と感じることばかりで、想像との違いをいつも楽しんでいます。
岡本 おもしろいですね。何かに直接触れていなくても感じられる触覚って確実にあって、僕の場合、対象がまとう空気のようなものを意識してデザインしています。たとえば書籍をデザインする場合は本文が発する声質や声の大きさを決めたり、チームで動くプロジェクトであればチーム内でのイメージを合わせるために音楽のジャンルで全体のムードを例えたり、ぜんぶが触感といえるか分かりませんが、その物に接したときの全体的な質感や感触を考えることから始めます。
岡崎 現実として肌で触れる物もあるし、情報として触れるものもありますよね。僕らは常に何かと何かの関係性の中で生きていて、そこにある感覚も触感といえますよね。
岡本 だからこそ触覚を存分に活かす図画工作って、とても大事な科目だと思います。実際の授業の時間だけではなく、家に帰ってからもじーっと見入ってしまうような教科書にしたいと思って、細かな工夫をたくさん散りばめたんですよね。

この紙が好き。この紙から起こる現象が好き。

岡本 子どもが何かをつくろうとするときの最初のツールが紙ですよね。小さな力でも形を変えられて、絵を描けば記録ができて、色も質感もたくさんある。本当に使い勝手に優れた道具だと思います。
岡崎 「かみ いろいろ」で使った紙は、個性にとらわれすぎないようになるべくニュートラルな紙を選びましたね。ゴワゴワでもなく、薄すぎてヘラヘラもしていない、ほどよい厚みで、紙らしいテクスチャーと白さのあるもの。
岡本 小学生が普段から手にしていそうな紙がいいね、と話していましたね。大人は紙を自由に選べますが、子どもはコピー用紙や折り紙くらいしか選択肢がないので、それに近い無理のない紙を選びましょうと。
岡崎 それで選んだのが「ルミネッセンス」。表面のテクスチャーや色の白さが映像に自然に映りそうで、折りやすくもあって。連量は四六判110kgが基本ですが、クシャクシャに丸めたときのゴワゴワ感や、破いたときの断面の見え方など、動きに対して良さそうな連量に調整しています。紙選びも映像づくりも子どもに媚びるつもりは一切なくて、やろうとしていることに対して純粋に必要なものを選んでいきましたね。
岡本 僕は普段、使い勝手の良さや発色の良さなど状況によって様々な紙を選びますが、個人的には「ミニッツGA」という紙がとても好きです。目に見えないくらいに細かな菱形状のざらざらがあって、紙なのか紙じゃないのか分からない不思議な感触がただただ好きで。ライナスの毛布ではないですが、触っているとちょっと落ち着く感じもあって。
岡崎 僕は特別に好きな紙というものはなくて、行為の結果として起こる紙の表情や現象に興味があります。水に浸したらグニャンとなるみたいな、ああいう感じが好きです。人が関与できない領域に惹かれるんです。
岡本 紙を選ぶことによって対象がまとう空気が変わっていくのも面白いですが、物質として紙という素材そのものを楽しんでいる様子は、やはり岡崎さんらしさだなと感じます。
岡崎 もちろんある程度は選びますが、そこに半紙があるのなら、半紙なりのおもしろさを探すのが楽しいんです。

 

知覚の可能性を広げる紙。

岡崎 これまでグラフィックデザインが携わってきた紙の文化とはぜんぜん違うところに、もっと広い紙の可能性があると感じています。たとえば粒々の丸の紙が無数にあって、それが目の前にばーっと広がっていたら、いったい紙なのか何なのか分からなくなりますよね。そういう「これって何なの?」というような紙の見方が変わっていく方向に、紙の未来が広がっていく気がしています。ディスプレイと紙が一緒になって、ぺらっとした紙のようなものに映像が映し出される時代もすぐにやって来るはずですし、そういう紙の捉え方の変化に柔軟に関わっていく方がおもしろく仕事ができそうですよね。
岡本 もうその途中まで来ていますよね。そもそも最近はデジタルサイネージが当たり前になっていて、アイデア出しから動かすことを前提に考えていることが多かったりします。状況によっては印刷もせず、データだけを渡すようなことも増えている。聖書から始まって、紙は情報伝達のためのメディアとして非常に有効性がありましたが、それがさらに便利なデジタルメディアに変わるのは仕方のないことです。でも紙の物性や手触り感は、情報を得るためではなくて自分の知覚の可能性を広げるためのツールとして、これからも重要なはずです。だからたとえ教科書がタブレットに変わったとしても、子どもたちが何かをつくるときにはすぐそばに紙があるような状況をもたらし続けたいなと思います。思えば僕らが子どもの頃は、新聞紙やチラシがおもちゃの材料だったじゃないですか。家のそこら中にあって、いくらでも使いたい放題。そういう状況が減っているんじゃないかと。
岡崎 チラシをクシャッとしたときの微妙な弱さとか。あの感じ、今でも手に残っています。
岡本 チラシをものすごく細く巻いたときのカチカチ感とか。少しずつ減っていくにしても、紙はきっと絶えないはずですし、身近な存在としていつまでも手元にある存在でいて欲しいですよね。


 
左:表紙
右:p.55「材料と用具のひきだし」扉

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